F ラン大学卒業後は普通の会社でサラリーマンとして働きながら生活しています。
twitter によくいる謎に高学歴だったり、謎に高収入フリーランスをしている人間でもありません。
つまり、その辺にいるただのおっさんです。
何回かに分けて【F ラン大学】 シリーズとして F ラン大学への入学から生活、そして卒業までを記事にしていきたいと思います。
今回はその導入となる、大学の選択から入試までの流れを簡単に記事にしていきます。
もしも高校生の方がこの記事を読んでいるのなら、私を反面教師として「大学のこと」、「将来のこと」について考えてみてください。
大学の選択、私は大学というものを理解していなかった
私自身の甘えでしかありませんが、大学受験を控えた高校時代の私と言えば部活に明け暮れ毎日 10 時頃に帰宅し、ろくに勉強などしてきませんでした。県内でも上位の高校に入学しながらも、全く大学受験を意識することなく 3 年生の後期を迎えました。
私の人生は、
当たり前のように県内の公立高校を卒業して、
当たり前のように県内の大学に進学して、
当たり前のように県内の会社に勤めるのだと思っていました。
しかし、人生はそんなに単純なものではありませんでした。
そもそも、私は大学というものを全く理解していなかったのです。
私の周りには大学生がいなかった
私の家族には大学卒業者がいませんでした。そしてもちろん周りの知り合いにも大学出身者はいませんでした。
きっと近所のお店のアルバイトなど大学生は周囲に沢山いたのだと思いますが、深くかかわることも無いので、全く大学というものを知る機会はありませんでした。
今にして思えば、県内上位の高校に進学したのも部活に「軽音楽部」があったからだし、それまで全く将来を考えたことがありませんでした。
上位の高校に入学した後ですら自ら大学へ進学しようなどと思ったことはなく、「周囲が進学するというから進学しよう」という甘えた考えを持っていました。
今にして思えば大学生が周りにいないという、地域による教育格差というものは物凄く大きな問題なのかもしれません。
受験シーズン、行きたい大学がなく焦る
「行きたい大学がない」というのは正しい表現ではないのですが、実際は将来を考えたことがなく「どこの大学に行けばいいのか判らない」というのが実際のところです。高校 3 年生を迎え、志望校を選んだり模試を受けたりしながらも、将来をイメージできないので学部を定めることができませんでした。
理系科目が得意だったので 2 年生の時に理系クラスを選択していましたが、漠然とした高校生活を送ってきた報いが高校 3 年生になってやってきたのだと思います。
安易な進路選択と国公立大学の受験失敗
高校 3 年生後期を迎え、私は安易に県内の国公立大学への進学を志望します。特に理由はありません…同じ高校の大多数が県内の国公立大学を志望したからその流れに乗ってです。
やりたいこともまだ見つからず、就職に困らなさそうという理由で医療系の学部を志望します。
模試の志望校判定も悪くなかったため滑り止めの大学受験もせず、センター試験と国公立大学の一次試験を受験します。
結果は惨敗し、落ちることなど考えていなかった私は路頭に迷います。
路頭に迷い、そこからでも間に合う F ラン大学の受験を決めます。
今にして思えば親に申し訳がないのですが、私は F ラン大学の受験を決めたその瞬間ですら明確な目標はなく、ただまだ「社会に出たくなかっただけ」なのだと思います。
国公立大学に落ち、F ラン大学を受験する…
国公立大学を目指していただけあり、センター試験の結果を送ればどの F ラン大学でも直接受験することなく入試を突破することができました。私はそこで初めて多くの選択肢を得ることができました。
人生で初めて「何を学びたいのか」、「将来どんな職場で働きたいのか」じっくり考える時間を手に入れました。
思えばもっと早くにこういう時間を作るべきでした。
F ラン大学ならどこにでも行ける。初めて自ら人生を考える。
先ほども書いたように、センター試験の結果を送れば「F ラン大学」であればどんな専攻の学部でも行ける状況にありました。そこで私は、初めて自分の人生を考える機会を得たのでした。
考えに考え、医療系でありながら得意な物理分野の知識を活かせそうな「臨床工学」分野を目指すことにしました。
その瞬間、今の仕事に続く足掛かりを得ることができたのでした。
国公立大学の受験失敗は無駄ではなかった
今にして思えば国公立大学の受験失敗は無駄ではなく、有意義な体験だったのだと思います。これまで「当たり前のようなレールの上にいる」人生から脱線することで、自分の人生を本気で考えることができました。
今ではただのサラリーマンではありますが、日本の平均年収を超える年収を得て生活しています。
以前親に「あのまま国公立大学に進学していたらどうなっていたんだろうね…」と言われたことがあります。
親も私が何も考えずに高校時代を過ごしていたのを見抜いたいたのだと思います。
それでも私はまだ「当たり前の人生」から離れられていなかったことが、大学時代の就職活動で明らかになりますが…それはまた別な記事で書いていきます。
なにはともあれ、自分の人生を全力で考える時間を得ることができたあの瞬間は、本当に貴重なものでした。
最後に
書きたいことが支離滅裂になってしまいましたが、大学受験の瞬間に関わらず「自分の人生を全力で考える時間」というものはいつの瞬間も必要なものだと思います。私自身を含め、「自分自身の人生」について今一度よく考えてみることが大切なのだと思います。
当たり前のように県内の公立高校を卒業して、
当たり前のように県内の大学に進学して、
当たり前のように県内の会社に勤務して、
当たり前のように結婚して、
当たり前のように死んでいく…そんな人生は実際はあり得ません。
あり得たとしたら、それは物凄く恵まれた人生です。
また、大学生が周りにいないという地域による教育格差というものは物凄く大きな問題だと思うので、その点についてもいつか触れられればと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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